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ユーノス800ニノロウ 〜歴史

 マツダは80年代後半のバブル期に、国内5販売網展開という無謀な作戦に出た。そのブランドは、マツダ、アンフィニ、ユーノス、オートザム、オートラマの5つである。この販売店網の拡大に伴い多くの新規車種が世に出る(注)。また、北米市場においては、トヨタの「レクサス」、ホンダの「アキュラ」、日産の「インフィニティ」に対抗し、「アマティ」という高級車ブランドを立ち上げようとしていた。

 ユーノス(EUNOS)は89年に設立された。主な車種は、ユーノス100、300、500、800、ロードスター、プレッソ、カーゴ、ときてコスモだ。フツーのヒトはロードスターの姿しか浮かばないのではないか。

 そして、90年に株価が暴落しバブルが崩壊する。

 ユーノス800は93年のデビューだ。本来、ターゲットとなる市場は北米であり、「アマティ」店向けとして開発され、「アマティ・ミレーニア」として北米でデビューするはずだった。しかし、「アマティ」戦略は93年に白紙撤回され、北米での車名は「マツダ・ミレーニア」となった。ヨーロッパ名は「クセドス9(XEDOS-9)」だ。なお、「アマティ」向けとしては、12気筒エンジン搭載の高級車も開発されていたらしい。

 ユーノス800は、量産車初のミラーサイクル・エンジンのみがほんのちょっとだけ話題となった。マツダのFF車としては最も大きく、センティアが生産中止となった後はフラッグシップの役割を受け持った。

 マツダの業績降下とともに、ユーノス店は96年に7年の歴史を閉じる。ユーノス800は、販売店統廃合後の車種再編でも生き残るが、97年に国内もミレーニアと名前を変える。00年にはマイナーチェンジで顔を大幅に変え、ミラーサイクル・エンジンがカタログから落ちる。そして、03年の8月に生産を終える。

 ユーノス800はバブル期に企画され開発された、いわばバブルの申し子だ。登り調子のマツダが放つ、北米市場の新ブランド「アマティ」の新型FFセダンとして、レクサスES(日本名:ウインダム)やアキュラTL(日本名:インスパイア)に対抗する、というのが狙いだったと思われる。しかし、時代は変わっていた。

 しかしながら、10年も売られ続けたのは、国産のセダンとしては異例である。売れなかったからモデルチェンジも無かった。なお、RX-7(FD)とはデビューも生産完了もほぼ同期だ。

 後継機もなく生産が完了したのは悲しい。



(注)マツダのバブル期新規デビュー 主な機種

マツダ
 レビュー、ランティス、ペルソナ、クレフ、クロノス、センティア
アンフィニ
 MPV、MX-6、MS-6、MS-8、MS-9
ユーノス
 100、300、500、800、プレッソ、ロードスター
オートザム
 AZ-1、AZ-3、AZ-オフロード、AZ-ワゴン
オートラマ
 プローブ

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Last Update : 2003/11/03