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Midgetニノロウ 〜歴史

 58年、英国の自動車メーカーBritish Motor Car(以下BMC)は、ライトウェイトスポーツカーの最小レンジを狙って、Austin Healey Sprite mk1、通称「カニ目」を発表した。ボディは、BMCとしては初のモノコック構造を採っていた。パワーユニットやサスペンションなど基本コンポーネンツのほとんどは、コストダウンを目的として当時のBMC製小型車であるAustin A35 / Morris Minorから流用した。パワーユニットはMiniにも使われていたA型で、948ccの排気量からSUツイン・キャブレターを用いて43psを絞り出していた。ステアリング・ギアボックスはMorris Minor用のラック・アンド・ピニオンで、ロック・トゥ・ロックは2.3回転と非常にクイックだった。動力性能は低かったが、約600kgのライトウェイトがもたらす良好なハンドリングで好評を博した。これがMG Midget 1500の先祖である。


 Spriteのマイナーチェンジに際し、BMCはMGブランドにおいて旧Midget TシリーズがMGAに移行しために空白になっていた廉価クラスに、Spriteの姉妹車として新型Midgetを投入することを決定した。同時に、大幅なデザインの変更が行われた。シャシーはSprite mk1を流用していたが、ボディの前後セクションは生産性や整備性を重視した直線的なものとなった。Midgetは、伝統となった縦桟のグリル、ボディ両サイドやボンネット上のモールなどを装備し、姉妹車である Spriteよりもやや高級仕立て上げられ価格も高目に設定された。これが61年6月に発表されたMG Midget mk1である。この姉妹車を総称してスプリジェットと呼ぶ。

 62年10月、小変更が行われた。これはライバルのTriumphからSpitfireが発売されたためであった。Spitfireの1200ccエンジンに対抗し、A型ユニットは948ccから1098ccに拡大され、出力は56psへとアップしている。さらに、クラッチ・ディスク容量を拡大し、ミッションのシンクロも強化され、フロントブレーキはディスクが装着された。

 64年3月にMidgetはmk2に移行した。それまでは脱着式だったサイドウィンドーが、巻き上げ式になり三角窓が付いた。また、リアサスペンションは1/4楕円リーフから、一般的な1/2楕円リーフに変更された。

 66年10月にはmk3へと発展した。エンジンはMini Cooper Sと同じ1275cc・64psに拡大され、幌骨が組み立て式から折り畳み式となり、畳んだトップがシート後部に収納可能となった。

 この頃、英国では自動車会社の再編成が進む。66年、BMCはJaguarを吸収しBMH(British Motor Holdings)となり、さらに68年にはLeyland Groupと合併し、BLMC(British Leyland Motor Cars)となる。このLeyland GroupにはMGのライバルであったTriumphも含まれていた。

 69年にはmk4となった。フロント・グリルがSpriteと共通のブラックアウトされたものに変更されモール類も廃止されたため、MidgetとSpriteの違いはエンブレムだけになった。また、サイドシルが黒色仕上げになり、バンパーの形状も変わった。米国の保安基準に合わせインストルメントパネルにパッドが入り、トグルスイッチがシーソー式に改められた。

 74年秋には米国の安全基準に対応するため、メッキバンパーに換わり黒塗りのウレタン製5マイルバンパーが与えられた。さらに、米国の排出ガス規制に対応するため、従来のA型エンジンに換わりTriumph製ユニットが採用された。このエンジンはOHV1493ccで、米国・日本仕様ではStrombergのシングルキャブレターが組み合わされ、出力はたったの51psであった。ミッションはMorris Marina用が採用され、ようやくフルシンクロとなった。これらの変更により車重は65kg増加し815kgとなり、排ガス規制でパワーも失ってしまったため軽快さが犠牲となった。これがMidgetの最終型で、通称はMidget 1500、もしくはウレタンミジェットである。

 このように、Midgetは改良を加えられながら、最後のブリティッシュ・ライトウエイト・オープンスポーツとして生きながらえた。しかしながら、基本設計の古さは払拭できずセールスは減少し、1979年11月に21年の歴史に終止符を打った。総生産台数は約22万5千台だった。

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Last Update : 2003/08/01