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音楽自分史-3 小学校高学年 器楽部

 小学校4-6年の頃、「器楽部」でパーカッションを担当していた。

 昨今、小学校の吹奏楽はかなり本格的で曲も難しく演奏も素晴らしい。ワタシが小学校時代を過ごした昭和のイナカとは隔世の感がある。

 当時は「器楽合奏」と呼ばれ楽器の編成も異なっていた。ワタシの学校における特徴は以下だ。

・木管が無く、アコーディオン、鍵盤ハーモニカ(ピアニカ)、リコーダー(ソプラノ、アルト)がそのパートを担っていた。
・金管に、ホルン、チューバはなく、最低音楽器はユーフォニアムだった。
・パーカッションにおいて、音階のある楽器と無い楽器は完全に分業されていた。
・活動のターゲットは「TBSこども音楽コンクール」のみ。
・レパートリーは、上記コンクールに応募する曲+補欠曲の2曲のみ。なお、毎年違う曲。
・活動期間は、上記コンクールの直前数ヶ月。
・指導は音楽教員だが、年に2回、都内から指導員が来た。
・運動会で演奏する「鼓笛隊」と呼ばれるマーチングバンドもあり、ほとんどのメンバーがそちらにも参加。なお、鼓笛隊では大太鼓を担当。

 ワタシが担当したのは大太鼓、ティンパニー、シンバル、トライアングル、タンバリンなど。小太鼓は、高校時代に一緒にやっていたドラマーであるS君が担当した。なお、高校時代、ワタシはハードロックギタリストだった。また、パーカッションではシロホン、マリンバ、グロッケン、ヴィブラフォンなどにそれぞれ専任がいた。パンフレットに人数が60人とあるが、今もそうだけど、ほとんどが女子。

 6年の時「韃靼(ダッタン)人の踊り」で、その小学校としては初の「優秀賞」を獲得した。

 進学した中学では、指導教員がいないということで、吹奏楽部は休部していた。残念だった。中3の時に復活したのだが、3年生は入れてもらえなかった。

 中学で吹奏楽をやっていたら、その後の音楽人生も変わっていただろうな。

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Last Update : 2019/08/15