どんと(ローザ・ルクセンブルグ、ボ・ガンボス)は大学の軽音で同期でした。彼について思い出したことを書いてみます。
その1 最初のバンドは「NANA」ではない
一般にどんとは京都大学工学部石油化学科に進学後、最初のバンドとして「NANA」を結成したことになっています。
ここの軽音では、部員が集まって新入生が自己紹介をするという場があります。ま、どこでもありそうですね。私は、そこで初めてどんとに会っています。新入生たちは、合いそうなのを集めてバンドをでっちあげる、と、そんな流れです。どんとも新入生とバンドを組みました。確か「Hot Stuff」というバンド名で、少なくとも11月祭(学園祭)までは活動していました。これが彼の最初のバンドでしょう。
私もそのへんのメンバーを集めて、あるバンドを作りました。このバンドは、一年後にボーカルが脱退して解散します。その後、このバンドのメンバーであったベースのKとギターのYが、VAMPIRE!のドラマーであるバーシさんとどんとを誘って作ったのが「NANA」です。
どんとの入学は81年で、「NANA」の結成は82年ですね。「NANA」はどんとの少なくとも、二つ目以降のバンドです。なお、このころどんとは、軽音の先輩方と他にもいくつかのバンドをやっていました。しかし、まじめにドラムに取り組んでいたら、もしかしたら「NANA」に誘われていたかも知れないなと思うと、いまさらながら残念です。
「NANA」はかっこいいバンドでした。よくライブに行きましたねー。
その2 軽音の飲み会
どんとはほとんどお酒が飲めませんでした。ついでながら、私もあんまり飲めません。
入部当時の軽音の部長は「VAMPIRE!」のWAHDAさんでした。このヒトも一滴も飲めない。料理に酒がちょっと入っていてもダメで、アルコール検知器と呼ばれていました。おかげで、部の飲み会では飲酒を強要されたことがありません。
飲めないどんとですが、飲んでいるヤツよりも酔っぱらいでした。
ある飲み会で、京都のコトバはおもしろい。特に「おいど」と「にぬき」だ、というようなことを言っていました。その飲み会の間中、「おいど」「にぬき」を連発し、ひとりで笑い転げていました。ちなみに、「おいど」はおしり、「にぬき」はおでんに入っている玉子のことです。
その後、「おしり」はローザの曲に、「おでん」はバンド名になりました。
その3 ボウリング
軽音部内で、なぜかボウリングがはやっていたことがあります。ミーティングのあとに、どんと、KYONさん(ボ・ガンボス)、その他でボウリング場に行くのです。ちぐはぐなファッションをまとったオトコばっかの集団は、ボウリング場ではかなり異様です。
どんとは豪快な、というよりは無茶なパワーボウリングでした。直球勝負。音楽のスタイルはここにも表れていました。
みんながストライクやスペアを出すと、KYONさんが拍手をするんです。律儀な方でして、分けへだて無く、欠かさず拍手をするんです。KYONさんって姿勢がいいんですよね。背筋を伸ばして仁王立ちで、さらに長身。それできっちりと拍手をするわけです。これが恐縮なんですよ。なんせ大先輩ですから。ストライクを出したりすると、あ、どもども、というカンジで照れながら戻ってくるわけです。
ボウリングシューズを借りると、自分の靴はロッカーに入れておきます。このロッカーは、鍵を閉めるときに100円玉を入れ、鍵を開けるとそれが戻って来るというシステムになっています。KYONさんによると、これを取り忘れるヒトが必ずいるのだそうです。KYONさんは行く度に必ずチェックを入れ、数百円をせしめていました。
意外とせこいKYONさんでした。
その4 エスポワール
軽音の部室は、本部から東大路をはさんだ西側にあります。南西に西部講堂、北には体育館があります。
体育館のとなりにエスポワールという施設がオープンしました。じゃあみんなで行ってみよう、ということになりました。どんとの装いは、どこで買ってくるんだというようなピンクのジーンズに花柄のシャツです。
エスポワールは、ま、学食なんですが、カフェテリア方式でちょっとおしゃれ。価格設定も通常の学食よりやや高くなっています。そして、そこで働いているひとりのお姉さんが、とてもきれいなんです。年上の女性ですね。どんとはメシを食っているあいだ、あのねえちゃんえーなあ、を連発していました。
次にどんとに会ったとき、お姉さんは彼と一緒に座っていました。このとき、こいつはただものでは無いなと思いました。
その5 「Love You うんこ」
「NANA」でどんとは才能を開花させ始めます。このバンドはストレートな音が気持ち良かった。しかし、まだ過激なパフォーマンスは見せていません。強いて言えば、いつもラストに演奏する「マザー・ファッカー」での演出くらいでした。
市原のあたりにあった蝦蟇蛙というところでも、ライブをやっていました。この店でどんとは玉城さんと出会ったとか。
「Love You うんこ」という曲がありました。歌い出しは「キミがボクを嫌いになったのは ボクがうんこを踏んだから」ですが、サビでは「うんこを踏んだのボクじゃない」となっていました。友人の女性が、うんこを踏んでしまった心情をせつせつと語っておきながら、サビにきて突然否定するのはおかしい、とクレームをつけました。
あるライブから、サビは「うんこを踏んでなにが悪い」になっていました。ウソつきから開き直りになったのです。大爆笑でした。
バーシさんがどんとの追悼イベントでこの曲を歌ったとか。どっちのバージョンだったのかな。
その6 ローザ・ルクセンブルグ結成
はじめて見たのは五条にあったフリースペースです。これがローザの最初のライブであったかどうかは定かではありません。なお、まだ三原さんは加入していません。
ドラムの方の名前は忘れましたが(アンディさん:後記)、京都に今もあるGATEWAYというドラムショップでバイトしていました。スネアを探しに行ったときには、パールのブラスを薦められました。この時は結局、三条の十字屋でバイトしていた宅間さん(ITACHI→TOPS)からヤマハを買っちゃいましたけど。
ドラムのスタイルは、なぜかフュージョンっぽいんです。演奏手法がフュージョンフュージョンしていました。スッキリしたどジャスト系ビートに、正確なスティックワーク。これに玉城さんのファンキーなカッティング。ベースはぼこぼことピック弾き。ソウル臭さはなく、ホワイトなファンクというカンジ。うわ、こんなバンドをはじめたのか、とかなり意外に感じられました。
とはいえ、音楽自体は好きでした。クールでしたね。
ドラムの方は、チャーみたいなカンジの男前でした。友人の女性は、三原さんに替わったのをひどく残念がっていました。
その7 どんと?
ワタシはどんとを「どんと」と呼んだことはありません。ま、当たり前のようですが「くどみ」です。同様にKYONさんも「川上さん」です。
「どんと」という愛称を初めて聞いたのは、彼がバイトしていた拾得です。ワタシは、どフュージョンバンドで拾得に出たことがあるのですが、そのリハの時に他の店員さんがどんとと「どんとは・・・」と話しているのを聞き、ああ、そんな風に呼ばれているんだ、と思いました。
リハが終わると、どんとに「こんな軟弱な音楽やってたらあかんよ」と言われたのをおぼえています。
ま、拾得にフュージョンは似合わないか。
最終回 ここからは知られているどんと
ローザ・ルクセンブルグは三原さんを加え、日に日に人気を高めます。
初めての音源は、「在中国的少年」のソノシートです。どんとは、同志社の放送部のヒトに作ってもらった、と言っていました。大学に「放送部」は無いだろ、とつっこんだ記憶があります。
このソノシート、もちろん持っています。レアアイテムのようですね。100枚くらい買っておけば良かった。
おしまい。
なにしろ昔のことですので、記憶違いもあるとは思いますが、ご容赦ください。